印刷用ページを表示する 掲載日:2016年2月29日更新
万葉時代の「布勢の水海」の中に位置していたと言い伝えられる布勢の円山(ふせのまるやま/標高20m)は、現在、出崎か田の中の小山とする説が有力です。
その丘に建つのが、延喜式内の古社・布勢神社で、祭神は、崇神天皇10年(紀元前88年)北陸道鎮撫将軍として派遣された四道将軍の一人、大彦命です。
その境内左側の茂みに、享和2年(1802)に建てられた「大伴家持卿遊覧之地」と刻まれた石碑があります。
裏面の撰文によると、題字は正二位権大納言花山藤公。
万葉関係の碑としては富山県内最古のものです。
【意味】
藤の花が美しく咲き、影がうつる湖の底までも清く澄んでいるので、水の底に沈んでいる石でさえも珠かと見誤るほどだ。
天平のロマンをしのぶ《氷見の万葉歌碑等》
天平18年(746)から天平勝宝3年(751)までの5年間、越中国守として赴任した大伴家持は当時29歳から34歳の青年期。
その在任中に、数々の歌を詠んでおり、万葉集収録の4516首のうち約480首が家持の歌とされていますが、そのうちの224首が越中時代に詠まれた歌です。
また家持と家持をめぐる人々が越中をテーマとして詠んだ歌は95首ありますが、このうち氷見の地名にかかわる歌は32首にのぼります。
なかでも国府から近い「布勢の水海」や、英遠の浦、比美の江、多胡の浦、松田江の長浜などの美しい景観は、ことのほか気にいったようで、氷見の歌枕(歌に詠まれた名所)の多さが、それを物語っています。
現在、氷見市の各地には、その名残として18の"万葉関係碑"が建てられており、万葉の心を今に伝えています。
布勢神社への行き方:
加越能バス 「布勢」下車 徒歩3分(約200m)