阿尾城跡
戦国の夢まどろむ城跡《阿尾城跡》県指定史跡 阿尾城跡は市街地北側の、海に面した丘陵上に築かれた戦国時代の城跡で、ここは越中と能登をつなぐ、海沿いや山越えの街道をおさえるとともに、海上の交通も把握できる重要なポイントでした。 築城の時期は不明ですが、天正・文禄年間(1573~1592)の城主として、菊 …続きを読む
阿尾城跡登り口
氷見市街北端の海岸に突き出すようにそそり立つ断崖絶壁があり、この一帯がかつて"英遠の浦"(あおのうら)と呼ばれていました。 断崖の岬には、天正年間に菊池氏が居城したという阿尾城跡があり、ここからは能登方面や北アルプス山脈も遠望する雄大な景観が望めます。 この城跡の登り口右手に、大伴家持の"英遠の浦に …続きを読む
浅野総一郎の生誕地
現在の氷見市薮田(当時の越中国氷見郡薮田村)で生まれた浅野総一郎(あさの そういちろう、1848(嘉永元)年生~1930(昭和5)年没)は、明治・大正時代を代表する実業家で、「京浜工業地帯を創った男」、「日本のセメント王」などと呼ばれています。 …続きを読む
床鍋 臼が峰
志乎路(しをぢ)は、氷見から能登の羽咋へ通じた峠道。源平の古戦場であり、江戸時代は御上使巡見の要路でもありました。「志乎路から直越え来れば~」の歌は、家持が政務(出挙のため)でこの峠を通ったときに詠んだものです。 ルートとしては、小久米-床鍋-臼が峰-深谷-下石-志雄と考えられており、床鍋からのぼり …続きを読む
大境洞窟住居跡
日本で最初に調査された洞窟遺跡 《大境洞窟住居跡》国指定史跡 灘浦海岸に面した縄文中期~近世にいたる洞窟の複合遺跡で、奥行35m、入り口の幅16m、高さ8m。波浪によってできた海食洞で第三紀鮮新世の石灰質岩盤。現在の床面は海面より約4m高くなっています。 発掘は大正7年(1918)、洞窟内にある白山 …続きを読む
柳田布尾山古墳
柳田布尾山古墳は、約1700年前に造られた全長107、5mの前方後方墳です。この形の古墳では日本海側最大の大きさで、全国でも十指に入ります。側面を海に向けて造られており、富山湾を介した海上交通を掌握した有力者が埋葬されたと推測されます。また、古墳の中心線は二上山の中心を向いており、周囲の自然環境を …続きを読む