日本で最初に調査された洞窟遺跡 《大境洞窟住居跡》国指定史跡
灘浦海岸に面した縄文中期から近世にいたる洞窟の複合遺跡で、奥行35m、入り口の幅16m、高さ8m。
波浪によってできた海食洞で第三紀鮮新世の石灰質岩盤。
現在の床面は海面より約4m高くなっています。
発掘は大正7年(1918)、洞窟内にある白山社改築の際、多数の人骨、獣骨、土器類などが出土したことから、本格的な調査が行われました。
この発掘によって縄文文化と弥生文化の時間差が分かったほか、縄文期の大型石棒・石庖丁や、弥生人骨の抜歯の風習や顔面装飾(頭骨に赤い塗料のついたもの)が注目を集め、日本の考古学史上に残る遺跡として評価されています。
第1層: | 中世・近世の土師器・陶磁器・鉄刀など |
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第2層: | 奈良・平安時代の須恵器・土師器など |
第3層: | 古墳時代中期から後期の土器・動物遺体など |
第4層: | 弥生時代中期末から古墳時代初期の土器・人骨・動物遺体など |
第5層: | 縄文時代晩期後葉から弥生時代後期の土器・石器・骨角器・人骨・動物遺体など |
第6層: | 縄文時代中期中葉から後期前葉の土器・石器・動物遺体など |
大境洞窟への行き方:
加越能バス 「大境」下車 徒歩5分(約400m)